2010年1月5日火曜日

吉法庵日記 名前の由来・・・

2010(平成22)年、明けましておめでとうございます。
新しい年に、新しいブログを開設しますので、よろしくお願い申し上げます。

さて、「ブログ」を開設することにはなりましたが、
実は、「ブログの名称」がなかなか決まりませんでした。
年末に「今日までに考えておく」はずでしたが、
年末年始は、何かと雑用に追われ、しっかり失念していました。

今朝は、2010年の仕事始め・・・、
中庭で「名称決まりました?」と問われ、
たまたま、目の前にあったのは、当館「まつりの館」の「蔵」でした。
その入口には達筆な文字で「吉法庵」と書かれております。
当館が開設された昨年4月、津島市の職員と当館を運営している「NPO法人 まちづくり津島」の
理事さん達が相談し、織田信長の幼少名「吉法師」に ちなんで命名された名称です。

当館(愛知県津島市本町1丁目)は、
織田信長の父・織田信秀が住んでいた勝幡城から南西2kmほどの位置にあり、
勝幡を通って清州と津島をつなぐ、近世の津島上街道沿いにあります。
この道は京都と東国をつなぐ古代東海道にも沿っています。
織田信長は、1534(天文3)年に勝幡城に生まれたと伝わり、
当時、津島湊の中心市街地だった当館前で「うつけ者」ぶりを発揮していた(?)と伝わります。

蔵の中で、このブログを書いているわけではありませんが、
たまたまそこに居合わせた津島市ガイドボランティア会のアイさんの賛同で、
本ブログの名称に「吉法庵日記」は洒落ていると即決した次第です(笑)。

織田信長は中世から近世へ時代を塗り替えた郷土の偉人、
閉塞状態となった現代日本において、
私も、信長の人生からいろいろと学びたいと考えておりますし、
津島市としても、何か「まちおこし」のヒントを得たいと思っております。

ということで、
これから「信長の台所」から、信長の出生地を汚さない程度に
「津島の花鳥風月を、つれづれなるままに」書かさせていただきます。

よろしくお願いします。     (おなもみ)

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